ホンダ CR93 市販レーサーとして鈴鹿のオープニングレースに出走

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ホンダ CR93 1962年
4スト DOHC2気筒
124.9cc
16.5PS/11,500rpm
1.05kg-m/10,700rpm
126.8kg

 

 

まさに芸術品。50ccのCR110共に走る精密機械、芸術品です。
観ていて惚れ惚れします。

 

CR110と共に、本当にバランスの取れた美しいスタイリングです。

 

50年以上前にこのようなマシンが作られていたとは素晴らしいの一言です。でも、逆に50年前だからこのようなマシンができたのかもしれません。

 

現代と違って、モーターサイクルスポーツに企業も情熱を注ぎこんでいましたし、何よりもオートバイ好きの若者が溢れていました。




ホンダ CR93 1962年

 

CR93の外見的特徴となるのは、やはり大きなヘッドです。

 

シリンダーヘッド部には、RC145のノウハウを投入したDOHC4バルブ・カムギアトレーン。エンジンレイアウトはCR110と同じものと考えてよいでしょう。

 

バルブは、吸気側が18mm×2、排気側が17mm×2と、サイズ的には現在の250cc4気筒の大きさを持っています。

 

スプリングは、一本のバルブを2個のダブルコイルで包み、2本のバルブを一対にしてバルブヘッド部をタペットホルダーでセットして、2本の調整用のネジが与えられています。

 

と言ってもこの複雑なヘッド部の構造を理解しているオーナーなら無暗にいじらないでしょう。

 

クランクケースは上下2分割、後方にはホモロゲーション用※のモデルに遵じて、キックスターターのスペースが設けられています。

 

ガソリンタンクは10Lの容量を持ち、ストリート用のスチール製、レース用としてアルミ製のものがセットされています。

 

ブレーキは、ストリート用にはフロント片面のツーリーディングシュー。レーシング用には両面支持のシングルリーディングシューが用意されていました。

 

※ホモロゲーションとは、ギリシャ語のhomologeoから得られた専門用語で「承認」、「認証」という意味である。 モータースポーツで使用される時は、国際自動車連盟(FIA)や国際モーターサイクリズム連盟(FIM)などの公認レースに出場する車両に課せられる厳格な規定のこと。

 

 

鈴鹿サーキット開業 1962年(昭和47年)

 

「子供の時からの夢は、自分で造ったクルマで、世界チャンピオンになることだった。」と語った本田宗一郎がサーキットの生みの親でした。

 

本田は、ドライバーとして1936年(昭和11年)6月に1周1.2kmの多摩川スピードウェイで開かれた第1回自動車競走大会に自ら改造した「浜松号」で出場したほどのレース大好き人間だったのです。

 

鈴鹿サーキットは、着工以来1年3ヶ月、1962年9月にコース幅9~12m、全長6.004km。高低差40mのサーキットとして完成しました。

 

翌年からは自動車遊園地の営業も開始し世界から注目されたサーキットです。

鈴鹿のオープニングレース

 

鈴鹿のオープニングレースは、1962年11月3日~4日、世界の競合も参加した「第1回全日本選手権ロードレース」でした。

 

観客は、鈴鹿市の人口7万人をはるかに上回る、12万人を押し寄せました。

 

プログラムは、
11月3日にノービスの50/250ccクラスとセニアの125/350ccの4レース。

 

翌4日は、ノービスの125/350ccクラスとセニアの50/250ccの4レースがそれぞれ行われました。

 

4日のセニア50ccレースの4週目にスズキに乗った名手エルンスト・デグナーが立体交差手前の右80Rで転倒。それ以来、その場所をデグナーカーブと呼ばれています。

 




まとめ

 

1964年(昭和39年)オリンピック年は、日本の乗用車の生産台数は、579,660台。

 

世界での占有率が3.5%に向上。

 

オートバイの生産台数は211万台で世界一位になりました。
日本の自動車産業飛躍のプロローグとなった年でもあります。



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