ホンダ CR72 1962年 日本の自動車産業飛躍のプロローグの年

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ホンダ CR72 1962年
4ストDOHC2気筒
247.3cc
25PS/9500rpm
2.06kg-m/7500rpm
156.3kg
F3.00-19 R3.50-19

 

 

CR72は、市販のレーシングマシン。世界GPレーサーの技術が取り入れられ、鈴鹿サーキットのこけら落としのレースに勝つために造られたマシンです。





ホンダ CR72 鈴鹿サーキットで躍動

 

1962年(昭和37年)と言えば、鈴鹿サーキット開業の年です。

 

この年の記念すべき第一回鈴鹿全日本ロードレース大会のノービス250クラスにホンダCR72が2台エントリーしました。

 

ヤマハTD1の乗る三橋実、片山義美らに善戦しましたが、加藤爽平、粕谷勇の乗るCR72は、TD1の上位独占を阻止するのがやっとだたそうです。

 

ちなみにケース結果1位三橋実(ヤマハ)2位片山義美(ヤマハ)3位加藤爽平(ホンダ)4位粕谷勇(ホンダ)でした。

 

でも、CR72の4サイクルの研ぎ澄まされた高周波のサウンドは、スタンドを埋め尽くした観衆たちの印象の中にその後も深く残ったそうです。

 

スペックの25PS/9500rpmはあくまでも公道での認定用のもので、レース用のセッティングでは40PS/13,000rpmという50年以上前にしかも2気筒ででたたき出しているなんで驚異的としか言えません。

ホンダ CR72 純粋なレーシングマシン

 

このCR72は、サーキット限定の純粋なレーシングマシン。そして50万円という価格は、限られた人たちだけの存在を証明していました。

 

僕は何台もバイクを乗り継いできましたが、ヤマハとスズキのマシンにしか乗ったことがありません。

 

特にホンダが嫌いと言うわけではありませんが、最大メーカーに対しての反感があったのかもしれません。

 

しかしこのブログのために資料を読み漁っていて、ホンダの人たちにのバイク造りに掛ける情熱に驚愕と共に敬意を払わずに要られません。

 

CR110、CR93、CR72は20世紀の走る芸術品として後世に語り継いで行きたいマシンです。



ホンダ CR72 全て本田宗一郎の情熱から

 

「子供の時からの夢は、自分で造ったクルマで、世界チャンピオンになることだった。

 

中略

 

ここに私の決意を披露し、TTレースに出場・優勝するため、精魂を傾けて創意工夫に努力することを諸君とともに誓う」

 

浅間火山レースが始まるのは、この宣言の翌'55年(昭和30年)のことでした。

 

ホンダは、爆発的ヒット商品となったスーパーカブC100の量産工場用地として、'59年9月に鈴鹿市稲生の丘陵地帯に21万坪の土地を購入していたが、工場だけだと用地が広すぎたので、サーキット建設の構想が浮上し展開して行きました。

 

そしてクルマの性能アップのためには、テクニカルコースに適しているとのこから、サーキットのレイアウトが磨かれていきます。

 

サーキットの候補地は当初、鈴鹿サーキット用地の中の水田地帯が予定されましたが、本田宗一郎の「田んぼは潰してはいけない、何もない山林原野にサーキットを造ろう」という主張は反映されました。

 

建設母体となったのは、61年2月に本田技研の全額出資で設立された㈱モータースポーツランド(鈴鹿サーキットランド)で、愛好者だけが楽しむのではなく、ファミリーで楽しめる施設を目指すべきだということで多摩テックなどのスケールをより充実させた施設を目指したのです。

まとめ

 

1962年(昭和37年)は、東京の人口が初めて1,000万人を突破。

 

これは世界で初めての事でした。TV受信契約数も1,000万件を突破し、普及率も50%を超えました。それによりマスメディアが大きな影響力を持つようになった時代でもあります。

 

ただ急激な開発の裏には、国鉄常磐線・三河島駅の大事故など欠陥も露呈して行きます。

 

しかし、日本全体では、経済大国へと歩む基盤が出来つつありました。僕は当時5才。今思うと、子供心にも日本が、前進しているなと感じていました。



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