ヤマハエンデューロXT500 1976 名車SRを生み出すきっかけのマシン

僕は、ヤマハというメーカーが好きで、
乗り継いだマシンは、ヤマハが多かったです。

 

GX400、RD250、RZ250、SRX400と乗り継ぎました。

当時のヤマハは、2サイクルと

単気筒、2気筒にこだわりと

プライドを持ていたように思います。

 

今日は、後にSRを生み出すきっかけとなったエンジンを有した、
ヤマハエンデューロXT500について書きたいと思います。

 

この年の流行語に、

 

記憶にございません

 

というのがあります。

 

ロッキード事件の国会証人喚問で、

 

証人質問に対する言い逃れの言葉として使われたもので、

 

こんな卑怯で、汚い対応が現代にも引き継がれていると思うと

悲しくなりますね。

スポンサーリンク



ヤマハエンデューロXT500 プロフィールとポテンシャル

 

ヤマハエンデューロXT500

 

1976年

 

エンジン:空冷4サイクル・SOHC単気筒
ボア・ストローク 87.0mm×84.0mm
排気量:499cc
最大出力:30.0ps/5,800rpm
最大トルク:3.90kg-m/5,400rpm
重量:139kg
登坂力:35°
始動:キック 5速
タイヤ:F3.00-21 R4.00-18
価格\370,000

 

 

軽量な139kgと言う車体に、

当時最大級のビッグ・シングルを

搭載したエンデューロ・モデル。

 

クラッチ側にあるデコンプ・レバーにより、

やや儀式的な始動を行う必要があるものの、

フラット・トルクで振動も少ないエンジンだけに、

スポンサーリンク

走り出してからの扱いには、思いのほか楽ちんな印象を受けました。

 

タンクinフレーム

(オイルタンクにフレーム・パイプを利用した強制圧送ドライサンプ)方式を

採用する等、画期的な試みもあり、大いに注目を集めたものです。

後に、SRを生み出すきっかけとなったエンジン。

クラッチカバーはマグ合金でした。

 



ヤマハエンデューロXT500が生まれた時代

 

1976年(昭和51年)僕は、予備校生でした。

この年の3月に僕は、大学受験のため、

5年制の国立高専を中退し、予備校に通い始めました。

 

しかし、高専時代は、

いわゆる受験勉強はやっていなかったので、
非常に違和感があり、結局、予備校に真面目に

通った記憶はあまりありません。

 

かと言って、自宅で勉強していたのかどうかも思い出せなくて、
ただ、図書館に通っていたことは憶えています。

 

しかも、親の反対を押し切って高専をやめたので、
受験料なども自分でアルバイトしながら調達しました。

 

この年、モントリオール・オリンピックがあったのですね。
観てる余裕なんてなかったな。

 

でも、「およげ!たいやきくん」が大ヒットして、都はるみの「北の宿から」が
レコード大賞を取ったのをよく憶えているから、

もしかして、テレビばかり観ていたのかもしれない。

 




スポンサーリンク

コメント