メグロ 目黒製作所の歴史
モーターサイクルの老舗、目黒製作所が生みだしたメグロは、
1950年年代にいちはやく125~650ccをラインナップしていました。
メグロは、カワサキと業務提携した1961年以降も、カワサキ・メグロと名前を残し、マニアには知られた存在です。
目黒製作所は、1923年(大正13年)にギア加工からスタートし、村田延治氏と鈴木高治氏により、1937年(昭和12年)に第一号車、メグロZ97型を生み出しました。
エンジンは、空冷4サイクル直立単気筒、
ボア・ストローク82×94mm、
498cc、13ps/3800rpmをマーク。
当時一流技術をもつスイスのモトサコシMAGレース用そっくりに製作していました。
フレームは、イギリスのベロセットをそのまま国産品にしたので、
スタイルも美しく、2年後には白バイとして採用され、以降メグロと白バイとの関係が続きました。
メグロの1号車 メグロZ97、500ccOHV車
メグロZ97型は手動3速で76km/hを出して、1942年(昭和17年)まで生産されましたが、戦争で中断、その後1947年(昭和23年)から生産再開し3年間あまり続きしました。
メグロZ型は、ベロセットのスタイルとモトサコシのエンジンという1930年代のモーターサイクルの理想を追った夢のマシンだったのです。
モトサコシMGAエンジンは、イギリスやドイツの高級モーターサイクルに搭載し、ヨーロッパのレースでは常に上位を占めました。
そのエンジンとそっくりに作ったメグロも同様にレースで活躍しました。
メグロの目黒製作所は黒字続きでした
1955年(昭和30年)当時の資本金は、5千万円。
やがて1億8千万円に増資され、59年(昭和34年)12月には、3億円となり二輪車のみのメーカーとしてH大きな会社でした。
しかも目黒製作所は、いつも黒字続きの会社でもありました。
1台1台東京の大崎から多摩川土手まで走行テストして、
調子が悪いマシンは、組み直して調整したそうです。
そのため市販車のトラブルは少なかったということでした。
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