オートバイ伝説 走り出せば青春

メグロ セニア 国産初の650cc 50年代のライダーのあこがれ

目黒製作所が生んで国産初の650cc

 

目黒製作所
メグロ セニア 1955年(昭和30年)
空冷4ストOHV2バルブ並列2気筒
651cc 29.5PS/5,200rpm
295,000円

 

 

1928年(昭和3年)にミッションのギアメーカーとして設立された目黒製作所は、1937年に日本で初めての個人用中型オートバイであるZ97型を発売、そして、国産車初の650ccとして登場したのがセニアT1です。

 

1955年の発売当時、陸王1200を凌ぐ29.5PSという国内最高のエンジンパワーを誇り、エンドレス式4段ミッションを装備していたことも特徴でした。最高速は130km/hと発表されたいました。

 




 

もはや戦後ではない 高度成長の前兆

 

1955年(昭和30年)と言えば戦後10年。

 

翌年の56年(昭和31年)の経済白書には、戦後の日本経済の発展の速さを称して”もはや戦後ではない”という言い方がつかわれています。

 

戦後のベビーブームも落ち着いて、出生率は多少下がって、僕が生まれた1957年(昭和32年)は、この頃のボトムでした。出生率は、その後また上がりました。

 

出来事としては、電気洗濯機、電気冷蔵庫、テレビが「三種の神器」と呼ばれるようになりました。

 

気になるのが少年の自殺が相次いだらしいです。何があったんでしょうか?

 

現代に通じるものとしては、ビキニスタイルが登場、アーモンドグリコがヒット食品に。

 

洋画では、ジェームズ・ディーンのエデンの東が第5位に登場しています。

 

ヒット曲で知っているのは、10位の「月がとっても青いから」菅原都々子くらいかな。

 

そんな時代でした。



メグロ・セニアはステータスマシンだった

 

メグロ・セニアT1、T2はともにメグロのステータス・マシンとして1950年代のライダーたちの憧れのマシンでした。

 

各パーツがハンドメイク的な味わいがあるのも人気の秘密でした。

 

セニアT2は、1960年4月で生産が終了し、KH型スタミナ(500ccツイン)にバトンタッチしました。その後、バーチカルツインの名車WシリーズとしてそのDNAは引き継がれていきます。

 

結局、セニアはT1、T2合わせても750台しか生産されず、当時の重量車の代表として希少価値なモデルとしてメグロマニアの間では、貴重品扱いされ、フルレストア車も少なくないそうです。

 



 


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