オートバイ伝説 走り出せば青春

ヤマハYA-1 「赤トンボ」は資本金三千万円の後発二輪メーカーから

1955年(昭和30年)7月1日。日本楽器のモーターサイクル部門が独立して、「ヤマハ発動機」として新発足しました。

 

この日、モーターサイクル造りのために抜擢された150余名は、
誕生間もないYA-1を10日後に控えた「第3回富士登山レース」に向かって、より高性能なレーサーに仕上げるため連日に徹夜に近い状態で仕事に明け暮れていました。

 

そんな開発スタッフ全員に「ヤマハ発動機発足」が知らされたのは、
それから1週間後の7月7日、七夕の日でした。

 

そして、3日後のレースでYA-1は、125ccクラスで、優勝を初め、上位10代中7台が入るという好成績を収め、「高性能・高品質のヤマハ」の名を一挙に高め、YA-1は3年間で1万台を販売しました。

 

ヤマハYA-1
空冷2ストピストンバルブ単気筒
排気量:123cc
最大出力:5.6ps/5,000rpm
最大トルク:0.96kg-m/3,300rpm
車両重量:93.6kg
最高速度:80km/h
価格:\138,000
発売:1955年2月

 

1955年2月、ヤマハ発動機が独立前に日本楽器が造り出したヤマハ第1号車。

ドイツの名車DKW・RT125をコピーした習作で、DKWの3速トランスミッションを4速に変えるなど、オリジナル以上の性能品質を誇っていました。

 

デザイン的には、東京芸大の小池岩太郎氏に指導されるGKグループの協力を得て、エンジとクリームの鮮やかなツートンカラーを採用し、当時の黒一色のオートバイを見慣れたユーザーに衝撃を与えました。

 

そのデザインと高性能は走りっぷりから「赤トンボ」の愛称で人々から愛されました。




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