オートバイ伝説 走り出せば青春

ホンダドリームCB250T かつての狼が忠犬となったようなマシン

ホンダドリームCB250Tが発売された

1973年(昭和48年)頃はどんな年だったのでしょうか?

 

敗戦から30年近く経ち、

ひたすら復興に向けて走り続けてきた日本は、
多くの歪を生みながら高度成長から

不透明な時代を迎えていました。

 

モーターサイクルもそれまでのパワー優先から、

乗りやすさ、扱い易さが優先されるようになりました。

 

ホンダドリームCB250Tは、CB72の流れを汲みながら、

大人しいデザインとスムーズなエンジン、

柔らかめなサスペンションとライダーを

選ばないマシンとして登場しました。

 

ホンダドリームスーパースポーツCB72

 

当時まで高校生になったばかりの僕は、

法的には自動二輪の免許を取ることが出来ましたが、

むしろギターや自転車に興味があり、

自動二輪の免許を取り損ねたのが惜しまれます。

 

多くの高校が自動二輪の免許取得を禁止している中、
僕が通う高校は、大丈夫だったのでなおさらでしたね。




ホンダドリームCB250T 一見普通、実は高性能

 

ホンダドリームCB250T

 

1973年

 

エンジン:空冷4サイクル・OHC2気筒

 

ボア・ストローク 56.0mm×50.6mm

 

排気量:249cc

 

最大出力:27.0ps/10,000rpm

 

最大トルク:2.0kg-m/9,000rpm

 

重量:156kg

 

最高速:150km/h

 

始動:キック 5速

 

タイヤ:F3.00-18 R3.25-18

 

価格\246,000

 

 

CB72をルーツとするCB250系の最終型。

フレーム、エンジンともに新設計され、
外商パーツも一新。

 

ホンダ初の6速ミッションを採用。

 



ホンダドリームCB250Tのパフォーマンス

 

ニュー・フレーム&ニュー・エンジンの

スーパースポーツCB。

 

外観で目に付くインナーチューブ剥き出しの

フロントフォーク以外、イメージ的には、
大きな変化が見られません。

 

タンクをスリムにしながらも、

デザインを従来と共通イメージで

通したのだが残念。

 

エンジンもヘッドを

 

改良の重点ポイントとしている以外、

 

ボア&ストロークにも変更はなく、

 

スペック上のデーターも変わりません。

 



 

唯一、5速→6速へのチェンジされたミッションが、

走行フィーリングに変化をもたらしてくれた部分です。

 

チェンジペダルは、従来からのリンクを介すことなく、

ダイレクトに操作でき、
適切なストロークで確実な操作が行える様になりました。

 

しかし、果たしてこの出力特性にマッチしたものかだどうか疑問が残ります。

 

粘り強く、低速域から安定性ある出力と、

軽々と9,200rpmのレッドゾーンを越える

スムーズなエンジンには、

似つかわしくない部分と思えます。

 

CB72から思えば乗り味も変わり、

スーパースポーツも随分と変化してきました。

サスペンションの初気圧を柔らかく設定し、

カッチリとした印象が影を潜めていました。

 

乗りやすく抵抗感のない、

誰にでも安心感を持って操作できる

モデルへと生まれ変わっていたのです。

 



ホンダドリームCB250Tが登場した時代

 

昭和47年1月、

旧日本軍横井庄一氏が

グアム島から28年ぶりに帰還しました。

 

戦争の記憶が鮮明によみがえる中、

沖縄の復帰、

 

そして佐藤内閣にかわった

田中内閣による日中国交回復の実現と、

戦後の大きな課題が解決されました。

 

「日本列島改造」を掲げて

首相に就いた田中角栄は

「今太閤」といわれ、

積極姿勢に寄せる期待も大きかったようです。

 

しかし、その政策はインフレの昂進と地価高騰を招き、

「金脈、金権」のことばを生んだのでした。

 

環境汚染の拡大は止まず、

雑誌『終末から』が創刊、

『日本沈没』が売れ、

『オカルト』がブームになった時代です。

 




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