ホンダドリームCB550fourは、
1974年にCB500のボアを広げて、
544ccとして発売。
その翌年すぐにCB550four-Ⅱとして
マイナーチェンジが施されました。
1974年は(昭和49年)は、
流行語が、便乗値上げ、物価狂乱、
金脈と人脈と言われるほど、
田中政権のもと、
石油ショック以来の狂乱物価で
庶民生活は圧迫されていました。
前首相の佐藤栄作氏は、ノーベル平和賞を受賞し、
田中角栄首相は、金脈問題で辞職に追い込まれました。
庶民は、時流に弄ばれた感があったような時代で、
何を信じていいか分からなくなった時代です。
とまあ、厳しい時代でしたが、僕は高校2年生。
そんな時代に関係なく、青春を謳歌していました。
ホンダドリームCB550four-Ⅱ1975 プロフィール
ホンダドリームCB550four-Ⅱ1975
1975年
エンジン:空冷4サイクル・SOHC4気筒
ボア・ストローク 58.5mm×50.6mm
排気量:544cc
最大出力:50.0ps/8,500rpm
最大トルク:4.40kg-m/7,500rpm
重量:207kg
最高速:180km/h
始動:セル、キック 5速
タイヤ:F3.25-19 R3.75-18
価格\375,000
CB500フォアのボアを2.5mm広げて、
544ccにスケールアップ。
キー付きタンクキャップや可倒式ステップ、
ウィンカーブザーなど装備が充実したマシンでした。
ホンダドリームCB550four-Ⅱ1975 ポテンシャル
CB500four(1971年)→550four(1974年)へとボアアップ、
既に完成の域に達したか、と思いきや、
再度、外観のイメージを変更、
CB400four(1974年12月)に似た、近代化が図られました。
前後フェンダーを短くカット、
4into1の集合管と長めになったタンク、
シートは浅めにフートレストは5mm後退、
チェンジ&ブレーキペダルも短めになど、
スポーティーな印象が高められられました。
元来、静かであった排気音は、
集合管により、更に効果を上げ、
物足りない印象さえも受けました。
スロットル・リンケージのリターン・スプリングの
位置を変更するなど、細部も改良を施しました。
ホンダドリームCB550four-Ⅱ1975 時代
1974年、ウォーターゲート事件でアメリカ大統領、ニクソンが辞任。
日本でも、田中首相が、金脈疑惑で辞任に追い込まれました。
戦後初のマイナス経済成長だった年でもあります。
74年3月には、小野田寛郎元陸軍少尉が、
フィリピン・ルバング島から帰還、
また74年秋には、
読売ジャイアンツの長嶋茂雄が現役引退で、
ひとつの時代が終わった感がありました。
翌75年は、4月にカンボジアでロン・ノル政権が崩壊し、
同じ月、南ヴェトナム民族解放戦線がサイゴンに入城し、
ヴェトナム戦争が終結しました。
日本では、プロ野球セ・リーグで
広島東洋カープが悲願の初優勝を飾り、
赤ヘル旋風を巻き起こしました。
布施明のシクラメンのかほり、
ダウンタウンブギウギバンドの
港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカがヒットして年です。
僕は、高校3年生で、夏休みに一人で
富山から函館まで往復2000キロの
自転車の旅を敢行しました。野宿しながらで、
今考えてもよくやったなと思います。