オートバイ伝説 走り出せば青春

カワサキKH250 1976 SSからKHに強烈な個性は、マイルドに

1976年の第75回芥川賞を受賞したのが、

当時、武蔵野美術大学の学生だった村上龍氏。

 

僕は、文芸春秋に載ったものを読んだように思います。

 

 

小説の内容は、良くわからなかったですがね。

 

 

でも、僅か5歳年上の村上氏が受賞した事は衝撃的でした。

 

 

また、この年、五木寛之氏の大河小説「青春の門」堕落編も発表されました。

 

僕は、五木氏の作品から多くの影響を受けました。

 

 

田舎の高校生にしか過ぎなかった僕は、

 

五木氏の小説を読んで、東京に出ることにしたのでした。

 

85歳になる現在もお元気に活動されていることは嬉しい限りです。

 




カワサキKH250 マッハシリーズはマイルドに

 

1976年2月

 

空冷2サイクル・ピストンバルブ3気筒
排気量:249cc
最大出力:28ps/7,500rpm
最大トルク:2.70kg-m/7,000rpm
車重:160kg
タイヤF3.25-18 R3.50-18
最高時速:144km/h
ゼロヨン:15.5秒

価格:\270,000

 

 

マッハシリーズはSSからKHへと移行。

 

KH250はフロントまわりを400から移植、
ディスクブレーキが装備され、タイヤもサイズアップ。

 

エンジンスペックは73年12月の250SSから変わらず、
最高速144km/h、ゼロヨン15.5秒のカタログデータはそのままでした。

 

250SSよりマイルドになったとは言え、独特な吸排気音などが魅力でした。

 

 



カワサキKH250のポテンシャル

 

公害対策が社会的な問題となって取り立たされてくると、
2サイクルに対する風当たりもきつく、

よりクリーンな燃焼が可能な4サイクルに

追い風が吹くようになってきました。

 

この年から、

カワサキの2サイクル・トリプルシリンダー“マッハ・シリーズ”は、
これまでS1/S2/H1/H2の名称を統合し、全てKHに変更されました。

 

正直なところ、マッハのインパクトは、

強烈な特性から受ける個性的な印象に継承されていたはずです。

 

しかし、技術の進化と共に穏やかな出力特性を与えられたモデルに、
もはや“マッハ”の呼称は似つかわしくなく、

新たなカワサキ2サイクルスポーツの統制が図られることになったのでした。

 

KHに名称変更された250は、KH400のフロントディスクブレーキを施し、

フォークやアルミボトムケースまでも400と同様のパーツで強化されました。

 

タイヤは、フロントが3.00-18→3.25-18、リアが3.25-18→3.50-18へとサイズアップ。

 

サスペンションも衝撃吸収性の向上が図られ、

従来よりもソフトなセッティングが与えられました。

 

パワーユニットは、250SSの初期型から比べれば、

32ps/8,500rpm→28ps/7,500rpmとパワーダウン。

 

やはり、中低速域での出力向上が行われていました。

高回転域での出力発生に頭打ち感はいなめなかったです。

 

停止時には1速にしかシフトできない機構や、

走行中、電装の一系統に故障が生じても、
残り2系統が保守する3回路ヒューズ等、独自の安全機構は伝承されていました。

まとめ

 

大学時代、僕はオートバイのサークルに所属していました。

2年後輩に、確かカワサキの250SSに乗っているやつがいて、

 

少しだけ乗せてもらったけど、
その時の加速感は爽快でしたね。

 

後に引っ張られるような感じがしたくらいです。

250ccでそんだけ凄かったんだから、
500ccを乗りこなすには、相当な腕前が必要だったと思います。

 



モバイルバージョンを終了