オートバイ伝説 走り出せば青春

ヤマハスポーツYDS2 YDS1を超えるスポーツマシン

ヤマハスポーツYDS2が、

YDS1を超えるマシンとして登場した、

 

1962年(昭和37年)この年、

知識人と言われる人たちから、
「女子大生亡国論」などという

女性蔑視の発言がありました。

 

今の時代からみるととんでもない発言ですし、
当時も女性たちやフェミニストから

総すかんを食っています。

 

いまの日本を支えているのは

女性の力によるところが大きいし、

 

先進国ではまだまだ女性の重職への

登用は少ないのですから。

 

映画では、

第二次世界大戦のヨーロッパ戦線の

命運を決定づけた

 

ノルマンディ上陸作戦の全貌を

ドキュメンタリータッチで描いた
「史上最大の作戦」が大ヒットしました。




ヤマハYDS1を超えてハイスピード化

 

ヤマハスポーツYDS2
空冷2サイクル・ピストンバルブ2気筒
排気量:246cc
最大出力:23ps/7,500rpm
最大トルク:2.14kg-m/6,000rpm
車両重量:156kg
最高速度:145km/h
ミッション:5速
価格:\187,000
発売:1962年(昭和37年)

 

 

プロトタイプの250Sでは、

最高出力は18psを発表されましたが。
YDS1では、20psに、

そしてYDS2では23psへと向上させました。

 

更に、デビューから5ヶ月後には

マイナーチェンジされ、

キャブレターは20mmから22mmへと変更が行われ、

それによりYDS1を上回るスペックを叩きだしました。

 

加速では、0→400mが15.8秒と

YDS1より1秒も短縮。

最高速度も+5km/hの出力アップとなりました。

 

またハイスピード化への対応として、

フロントにはアルミ製の200mmの

防水式2リーディング・シューのブレーキも装備され、

そのスポーツ性が向上し磨きが掛かりました。

 



 

世界は東西冷戦、日本は無責任時代に

 

1961年(昭和36年)1月に合衆国では、J・F・ケネディーが大統領に就任します。

 

その時の就任のあいさつがカッコイイですね。

 

 

「同胞のアメリカ国民諸君。国が何をしてくれるかではなく、自分が国に何ができるか問うてもらいたい。世界の同胞諸君、アメリカが何をしてくれるかではなく、人類のためにみんなで何ができるか問うてもらいたい。」

 

 

そして61年8月13日は、ベルリンに壁が作られました。東西の冷戦時代に入るわけです。

 

一方、日本はと言えば、行動成長期で、植木等のスーダラ節などヒットして世相は明るかったようですね。

 

僕はちょうど4才から5才で、まだ未就学児童でしたが、世の中がなんか前進している感は幼心にも思い出します。

 

もしかして日本が一番元気だった時代かもしれませんね。

 

そしてオートバイもハイスピード化、高性能化へと邁進してくわけです。




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