YAMAHA ヤマハトレール250DT1が、東京モーターショーでセンセーションなデビューを飾ったのが1967年(昭和42年)。
この年僕は小学4年生。
少し背伸びしたい年頃になってきました。
流行した歌が、ブルーコメッツの「ブルーシャトー」と佐良直美の「世界は二人のために」。このころからよく憶えていますね。
小学校4年生と5年生の担任の先生が泉田先生というおじさん先生でした。
温厚な方でしたが、叱られる時は頭をゴツンとやられて、傍から見ていると軽くたたいているようで、実際には結構痛かったな。
さて、ボブ・ディランは、前年の1966年に「BLONDE ON BLONDE(ブロンド・オン・ブロンド)」を発表。出だしの「Rainy Day Women #12&35 (雨の日の女)」を聴いてそのおふざけぶり?に衝撃を受けたものです。
YAMAHA ヤマハトレール250DT1 1968年
エンジン:空冷2サイクル・ピストンバルブ単気筒
排気量:246cc
最大出力:18.5ps/6,000rpm
最大トルク:2.32kg-m/5,000rpm
重量:112kg
最高速:120km
始動:キック
ミッション:全身5段
タイヤ:F3.25-19 R4.00-18
価格\193,000
1967年の東京モーターショーにデビューするや、一躍センセーションな話題を独占したモデルです。
眠っていたオフロード車のマーケットを世界的に一気に膨れ上がらせた立役者で初の本格的トレールモデルでした。
鮮烈なスタイリングと走りで、アメリカ市場を縦横に駆け巡った後、翌68年(昭和43年)に日本国内にも遅れてデビュー。大反響を巻き起こしました。
当時”トライアルの神様”と呼ばれた、ブルタコの契約ライダーのサミー・ミラーも、その比類なき性能に絶賛を送りました。それほど完成度の高いモデルだったのです。
’67年のモトクロス日本GPで、鈴木忠男が駆り優勝を飾ったYX26の技術が、ダイレクトに活かされたモデルでもありました。またDT1のキットパーツ装着車はモトクロスでも大活躍しました。
YAMAHA ヤマハトレール250DT1 吹き荒れたミニスカート旋風
戦後20年が過ぎ、元首相吉田茂が死去。初めての国葬が行われ、一つに時代が終わった感が出てきました。
東京では、初の革新系の美濃部知事が誕生。経済成長が進み、ベトナム特需と呼ばれる米国のベトナム戦争遂行に加担する姿勢は、日本の目指す方向を明確にしたように思います。
人口は1億人を超え、主婦の9割は中流意識を持つようになった時代です。
1967年(昭和42年)10月18日、東京羽田空港に一人のひょろとしたそばかすだらけの英国人の女の子が降り立ちました。本名レスリー・ホーンビー18才。愛称ツイッギー(小枝)。
来日翌日、東京ヒルトンホテルにひざ上30センチの深紅の超ミニで現れ、日本中の話題をかっさらいました。
これが日本におけるミニスカート旋風の始まりでした。
日本のミニスカート旋風の火付け役が、当時東レの広報宣伝部長だった遠入昇(えんにゅうのぼる)氏でした。
遠入氏は前年の66年6月、広告関係の国際会議に出席のため、ベネチアにいました。その後、パリ、ドイツ、ロンドンを回りましたがどこでも若い女性たちのミニスカート姿に遭遇しました。
でも、その時は、体型の違う日本人女性には、似合わないよな、と特に気にしませんでした。
しかし、ここで遠入氏は、当時人気絶頂だったザ・ビートルズに思いつく。
当時、スウィンギングロンドンという現象が起きていたんですが、そこからミニスカートは単なるファッションではない、第二次大戦後生まれた世界のベビーブーム世代が主導権を握り、今までの体制を破壊していくという現象なのでと確信を持つに至ったわけです。
そこから遠入氏は、ミニスカートの象徴、ツイッギーを呼ぶべきだ!と確信したのでした。
YAMAHA ヤマハトレール250DT1 日本の二輪・四輪界
1967年(昭和42年)、ブリジストンが、国内販売を止めました。
中央高速道(調布⇔八王子)が開通。ちなみに松任谷由実(当時は荒井由実)が、中央高速道をモデルにした「中央フリーウェイ」が発表されたのが9年後の76年のこと。そして僕が自動二輪の免許を取ったのが、その2年後の78年でした。
二輪・四輪の工業界が合体して、日本自動車工業会が発足しました。国内の自動車保有台数は1,000万台を突破し、レンタカーも盛んになりました。
そして自動車生産台数は、ドイツを抜き米国に次いで世界第2位になりました。
まとめ
60年代は僕はまだ小学生であまり世の中も分かっていなかったようです。でも64年の東京オリンピックは、ちょうど実家に白黒TVが入り、学校が終わって一目散に走って帰り、テレビを食い入るように観ていた記憶があります。
66年(昭和41年)のザ・ビートルズの来日は、TVニュースが失神する女性ばかり映していた感があり、あまり興味を示しませんでした。
67年(昭和42年)には、グループ・サウンズ全盛の時代になり、真似した記憶がありますね。
このブログも早く70年代に突入したいと思います。