1955年7月1日。今から62年前。
日本楽器から、モーターサイクル造りのため抜擢された150名は、10日後に控えた「第三回富士登山レース」の向けて、YA1を高性能マシンへと仕上げるためにいつもと同じ日を送っていました。
実はこの日、日本楽器からモーターサイクル部門が独立して「ヤマハ発動機」が誕生したのです。
しかもこの日は、法律上の手続きだけで、全員に知らせれたのは1週間後の7月7日のことでした。
そして3日後のレースで、YA1は勝利を挙げることが出来ました。
その勝利は、ヤマハ発動機の門出を祝うと共に、以降のレース活動と共に歩んだヤマハの将来を暗示した出来事でした。
ヤマハ YA1
空冷2ストピストンバルブ単気筒
排気量:123cc
最大出力:5.6ps/5,000rpm
最大トルク:0.96kg/3,300rpm
重量:93.6kg
値段:\138,000
東ドイツDKWのRT125を参考に、本家を越えるスペックを与えられたYA1。
当時の125クラスでは唯一の4段ミッションを搭載して1954年秋に発表され、翌55年2月に市販が開始されました。
上記の第三回富士登山レースの125部門では優勝を含む上位10位車中7車を占め、11月の第1回浅間高原レースでは1位から4位までを独占。
まさに衝撃的なデビューを果たした名車です。
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