ヤマハ スポーツ RX 350 1970
ヤマハは、一方で650XS1、
その後のTX750と大排気量はオーソドックスな
オートバイらしいオートバイを目指したの対して、
2サイクルはスズキやカワサキのように大排気量に行かずに、
中排気量までの俊敏なマシン中心の開発でした。
ヤマハスポーツRX350は、市販レーサーTD2譲りの
フレームと軽量化された5ポートピストンバルブエンジンで、
優れたコーナリング性能と動力性能を誇りました。
これがその後RZ250へと進んで80年代の2サイクル人気に繋がっていると思います。
ヤマハ スポーツ RX350
ヤマハ スポーツ RX350
1970年9月発売
エンジン:空冷2サイクル2気筒
ボア・ストローク 64mm×54mm
排気量:347cc
最大出力:36ps/7,000rpm
最大トルク:3.8kg-m/6,500rpm
重量:141kg
最高速:170km
0-400:13.8秒
始動:キック 前進5段
タイヤ:F3.00-18 R3.50-18
価格\216,000
フレームは市販レーサー・TD2に酷似したものを採用していました。
エンジンもレース用をベースにしたものを搭載。
公称最高速度は170km/h、ゼロヨンは13秒8の俊足で、
ナナハン・イーターよ呼ばれていました。
ヤマハ スポーツ RX350 750イーター
750イーター(750Eater)“ナナハンイーター”とか
Drug-Star“ドラッグスター”の異名は、
その名の通りこのマシンの性能を表現したもので、
海外においても評判の高いもモデルでした。
141kgの軽量な車体を、
当時のトップレベルのパワーで強引に引っ張る走りは、
大層刺激的で魅力的なものでした。
このエンジンをバースとした市販レーサーTR3は、
更に軽量の110kgに54ps/9,500rpm以上のパワーを発揮しました。
’72年のデイトナでは見事優勝を飾りました。
ヤマハ スポーツ RX350の時代
万博景気に湧いた70年が終わると沈滞ムードが広がり、
高度成長期がもたらした歪として、豊かに見えていた社会に
陰りが見え始め、公害問題が深刻化しました。
また公害と職業病は並行して進行する状態が明らかになり、
71年7月には、環境庁が設置され、公害問題や職業病問題などを
解決する責任が負わされることになりました。
東亜国内航空機の事故、全日空機と自衛隊機の衝突など空の事故が続きました。
またニクソン大統領のドル防衛策が実施されて円高傾向が強まり、
日本経済は大きな転機に立つことになりました。
モーターサイクル生産は300万台を上回りました。
輸出も200万台を突破。
自動車保有台数2,000万台を突破。
自動車輸出台数も177万9,000台はなんと前年比63.7%増でした。
自動車重量税が新設され、自動車騒音規制法施行。
最高速度が100km/hを超えると警報装置がなるように決定し、
72年4月から実施されました。
また、自動車業界の新車広告には、絶対、完全という言葉を使わないように決定しました。
まとめ
1970年代は、1957年生まれの僕にとっては、
思春期から青春時代を迎えた時代です。
82年に就職しましたが、そこで青春が終わったと感じたのを思い出します。
僕は、78年に自動二輪の免許を取り、それからオートバイ人生が始まりました。