オートバイ伝説 走り出せば青春

メグロ 量産車の最小モデル125cc 不振が消えゆく原因だったか?

125ccモデルはメグロが消えゆき原因となったかも

 

1957年(昭和32年)生まれの僕には、メグロという響きは懐かしいものです。

 

オートバイに興味がなかった幼少期にも父や叔父たちの会話から、その名前を聴いていたものです。

 

昭和30年代の若者の憧れは、クルマよりもオートバイだったのでしょう。

 

そしてメグロというと老舗でもあり、大型バイクとしてのステータスを
感じさせるブランドでした。

 

そんなメグロが125ccも作っていたというのは、僕は知らなかったのですが、量産車モデルとして、メグロは最小排気量モデルとして125ccを製作していました。

 

単純に考えても、競合するメーカーがホンダ、ヤマハ、スズキでしたし、当時は他のメーカーも125ccに参入していたわけですから、

 

いまだから言えるのですが、メグロは大排気量ということで勝負していれば、消えゆくこともなかったのでは、と思えてなりません。

 



進歩していた4速ミッション・レジナE

メグロの量産車としての最少モデルは、1955年(昭和30年)に登場したレジナE1型で、OHV単気筒のボア・ストローク52×58mm、
4.5ps/5000rpm、車重100kgで70km/hのデータを持っていました。

1958年(昭和33年)にはアサマレーサーの技術を活用したSOHCの125ccレジナE3型となり、8.2ps/8200rpmと性能を向上させました。

 

しかし、その後SOHCはメグロに合わないということで、OHVエンジンに戻し、1960年から123ccで7.5ps/6700rpmを開発し、セル始動のCA型キャデットとして発売されました。

 

 

タンクやシート、フレームはE3のものですが、フロントはテレスコピックに、車重が増えて124kg、85km/hのデータでした。

 

キャデットやDA型レンジャーは、カワサキ傘下に入ってからもメグロ・ディーラーの要望で生産が続きました。

 

レンジャーは、168cc、10ps/6000rpm、車重126kgと出力の割に軽く、115km/hをマークし、扱いやすい軽2輪として親しまれました。

 

メグロ125系は、メカニズム的には高いものがありましたが、設備投資しながらも販売台数が伸びず、これがメグロが消えゆく遠因と言われています。

 




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