ホンダ 世界への挑戦
ホンダが、日本製モーターサイクルとして初めて国際レースに出場したのが、1954年(昭和29年)3月のことでした。
当時、日本とブラジルは移民が盛んで、日本人の多いサンパウロ市の400年祭のロードレースに招待されたのでした。
ホンダでは、ドリームE型150ccエンジンのストロークを縮めて125ccにした、2速ミッション車を大村美樹雄ライダーを送り出し、なんと125ccで13位になってしましました。
スタイルはフロントがガーダーで、ちょうどギャンブルマシンのような自転車型に過ぎないのに当時のMVアグスタなどの4速マシンに混じり25台中13位ですから、快挙でした。
これに気を良くした本田宗一郎社長は、なんとTTレース出場を宣言したのです。
ホンダ マン島TTに出場宣言
しかし、当時のホンダは3速ミッション付きの3Eが発売されたばかりで、しかもエンジンはOHV。
54年6月にマン島TTレースを見学に出かけた本田社長は、125ccで16ps、OHCメカニズムの本格マシンが160km/h近いスピードで駆け抜けるに度肝を抜かれました。
結局、1955年マン島TT用に開発した3E改造レーサーはプロトタイプで終わ、ホンダがマン島TTに初出場したのが、1959年まで待たなければなりませんが、54年10月にマン島TTレース推進本部ができ、本格マシンの開発に取り組んで行きます。
マン島TTレース
マン島TTレース(マンとうティーティーレース、英:The Isle of Man Tourist Trophy Race )は、1907年からイギリス王室属国のマン島(Isle of Man)で開催されているオートバイ競技である。
競技は世界最古の議会で『青空議会』としても知られるマン島議会ティンワルドが制定した公道閉鎖令に基づき公道を閉鎖して行なわれる。
1959年は日本のホンダが初めて125ccクラスに参戦して完走して谷口尚己が6位入賞、2年後の1961年にはマイク・ヘイルウッドの手によりマン島初優勝を記録した。
1963年の50ccクラスではスズキの伊藤光夫が日本人として初優勝した。
ホンダ 幻のマン島用レーサー1954年
ホンダのマン島TTレーサーのプロトタイプ1954年に製作された「マン島用レーサー」4サイクルOHV、当時の3Eを改造した125ccという声もありますが詳細は不明で、未公開の幻のレーサーです。
走行性能的には1955年JCよりもアップしていると言われていました。
ホンダは、1955年7月、第3回富士登山レース1位、翌56年500cc級1位、350cc1~3位、250cc2位のドリームSB-Z型レーサーが、国内レースで大活躍しました。
ライダーは大村美樹雄、谷口尚己、鈴木淳三、鈴木義一が活躍しました。
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