本田技研工業の創業者は、本田宗一郎氏(1906-1991)です。
本田氏は、浜松に生まれ育ち、1928年(昭和3年)にそれまで勤めていた
アート商会からのれん分けの形で、独立しました。
時に本田氏21才。
若いといっても高等小学校を出てから丁稚奉公のような形でアート商会に入ったので既に働き出して6年になっていました。
本田氏は、当時難しかったピストンリングを自分で作ることを試みました。ピストンリングは、エンジンのシリンダーとピストンの機密に大切な部分だけになかなか良い品物がなかったのです。
本田氏はピストンリングを自分で作り、体験して技術を得るという信念に燃えていましたが、自分の経験だけでは限界あると知り、30才を過ぎてから浜松高等工業(現静岡大学工学部)に授業を受けに行き、様々な知識を身に付けて行きました。
そしてピストンリング製造が成功し、事業を拡大して行きました。
第二次大戦中は鋳物によるプロペラも作り、日本軍からも褒められ、
浜松の名士になっていきました。
そして終戦、本田宗一郎氏は、1946年(昭和21年)10月39才の時に、
自分の技術を存分に発揮するため、本田技術研究所を作りました。
創業して約20年、本田氏は自分の名を冠した「ホンダ」のモーターサイクルを生産していきます。
ホンダの1号車は、他社と同様に軍用に使われたエンジンを流用して完成しました。当時として平均的なスタイルと性能で特徴はありませんでした。
しかし、エンジンを自社製に切り換えることでモーターサイクルメーカーへ歩んでいきました。
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