メグロK2から引き継がれたエンジンは改良を重ねられ、
このW1SAからリンクを介して左チェンジになりましたが、
ミッションが依然として4段のままでした。
カワサキ650W1SAが、650W1Sのマイナーチェンジとして出現のは71年。
その前年70年(昭和45年)には、東京オリンピックと並ぶ戦後最大のイベント、
日本万国博覧会(大阪万博)が開催されました。
総入場者数は、6,400万人。
つまり日本人の二人に一人が大阪・千里の会場に足を運んだ計算になりました。
カジュアルウェア、ファストフードなど、万博が残した文化も多いです。
でも、誘致段階から鳴り物入りだったオリンピックに比べ、万博のスタートは、
ひっそりとしたもので、担当者たちにとっても難問が多かったようでした。
カワサキ650W1SA 1971
カワサキ650W1SA 1971年
エンジン:空冷4サイクルOHV2気筒
排気量:624cc
最大出力:53ps/7,000rpm
最大トルク:5.7kg-m/5,500rpm
重量:199kg
最高速:185km
0-400:–.-秒
始動:キック 前進4段
タイヤ:F3.25-19 R4.00-18
価格\348,000
W1SAは、メグロ時代かわW1からW1Sまで受け継がれた
右シフト・左ブレーキから、多くの国産車と同じ左シフト・右ブレーキへ
変更を受けることで、より多くのライダーに受け入れられるようになりました。
メッキ部のない塗装仕上げタンクなど、スタイリングも従来型から大きく印象を変えました。
カワサキ650W1SA ナナハン時代を迎えて
1968年W1SAに継ぐマイナーチェンジが図られたモデルです。
時は、既に“ナナハン”の時代を迎え、“ダブワン”販売にも
陰りが見えるようになってきました。
カワサキ内でも次期モデルの750RSへの
継投の意味合いを持ったマイナーチェンジが、
W1に再び活性化をもたらす事を、
営業サイドは誰も予測出来なかったそうです。
この人気の要となったのが、
左ブレーキ・右チェンジの機構変更ろ1ダウン3アップの
シフトパターンの改良だった。
こだわりを払い去り、時代の流れにフィットした“ダブワン”。
若年層にも受け入れられてヒットモデルとなりました。
カワサキ650W1SA 1970年と言う年
日米安全保障条約が改定されたこの年、
大阪千里丘陵で日本万国博覧会が開催されました。
本来都市が主催する万国博覧会に日本をかぶせたのは、
経済大国のおごりだったのでしょうか。
7月14日の閣議で国名の正式な呼び方を「ニッポン」に決定。
万博は東京オリンピックんび続いて日本の国力を誇示する絶好の機会でした。
しかし、急速な発展の陰で、公害はさらに広がり、
排ガスの鉛中毒や光化学スモッグが人々を脅かしました。