このブログでも書いていますが、
僕は、1979年にプレスライダーとして
半年ほど働いていたことがあります。
ちょうど大学3年生の後半だったと思います。
当時僕が所有していたのが、
スズキハスラーTS250でしたが、
仕事では、RD250に乗っていました。
RD250は、軽快なエンジン特性の割には、
車体が400と共通でやや大柄で重い印象がありました。
また、ポジションがスポーツモデルとしては、シート高が高く、
ハンドルも普通のアップタイプだったので、姿勢は直立になり、
エンジンと性格とはマッチングせず、違和感がありました。
そんな中、結局最終型は、スタイリング的に大分改善されました。
僕は、結局古いマシンしか支給されませんでしたが、
新しいマシンに乗る同僚をうらやましかった記憶があります。
でも、オートバイ雑誌の評価を見ていても、
ヤマハは、この2サイクル250ccの扱いには苦労したようで、
それがその後、RZ250の衝撃デビューにつながったのだと思います。
ヤマハスポーツRD250 1979年モデル
ヤマハスポーツRD250 1979年モデル
空冷2サイクルピストンリードバルブ2気筒
排気量:247cc
ボア&ストローク:54.0mm×54.0mm
圧縮比:6.7
最大出力:30.0ps/8,000rpm
最大トルク:2.90kg-m/7,000rpm
始動方式:キック
ミッション:6速
車重:150kg
タイヤF3.00-18 R3.25-18
最高時速:200km
価格:\295,000
1979年モデルは、RD250の最終型。
輸出仕様RD250DX(1978年モデル)に装着していたアルミ・キャストホイールを採用し、
タンク、シート&カウル、サイドカバーを一新しました。
しかし、’71年(DX250/DX350)以来のRD400と共通の車体構成に、
重量的なマイナス面を負っていました。
空冷2サイクル・ツインの伝統を継承しつつも、日増しに豪華な装備を増し、
スプリンターモデルとして存在感を薄弱な印象と化してしまいました。
重量面のハンデを出力特性でカバーしようとポート形状に変更を与え、
シリンダー形状の変更で冷却効果を高めるなど、苦心の後も窺えました。