ヤマハ YDS3 1964年 2ストのヤマハの進化系 時代を変えたマシン

1963年10月、アメリカのフォークシンガー、ボブ・ディランは、
“時代は変わる(The Times They are A-Changin’)”を発表。

 

 

モーターサイクルの世界にも変化が訪れていました。

そこには、変化を受け入れる人たちと、変化を嫌う人たちがいました。

ヤマハスポーツYDS3 1964

 

ヤマハ YDS3 1964年
空冷2サイクル・並列2気筒
排気量:246cc
最大出力:24ps/7,500rpm
最大トルク:2.3kg-m/6,000rpm
重量:159kg
最高速:147km
タイヤ:F2.75-18R R3.00-18
価格\187,000

 

 

このYDS3からオートルーブ(分離給油方式)が採用されました。
オイルタンクは右下に装備。リヤサスは負荷3段切換え式。

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ヤマハ YDS3 分離給油方式採用

 

2サイクルエンジンに分離給油方式が採用されたことで、その安定した出力への信頼性に、多くの称賛が集まりました。

 

YDS3は、YDSシリーズとしては、初めて分離給油方式が採用されたモデルで市場でも注目されましたし、従来モデルとの比較が、様々な紙面でも取り上げられました。

 

混合給油での煩わしさから開放された新しいユーザーにとっては、多くの利点が受け入れられ喜ばれました。

 

しかし、YDS1とYDS2のユーザーの中には、その煩わしさを一種の儀式として考え、中にはその儀式が味わい深く尊いものとして、崇拝する熱狂的な狂信者もいました。

 

時代が変わるときに必ず現れる人種ですね。

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ヤマハ YDS3 マイナーチェンジ

 

YDS3は、64年6月にデビューして6か月後にマイナーチェンジしました。

 

と言ってもタンクのエンブレムが音叉のマークから、横長のロゴタイプに変更した程度でした。

 

YDS3は、YDS2に比べ、1psアップで、最大トルクも0.16kg-m、最高速で2km/hアップ止まりでした。

 

パワーフィーリングは、低速時にややトルク増を感じる程度でした。
しかし、特徴ある吸気および排気音の荒々しさが失われたのは残念でした。

 

リアのショックユニットは3段切替え式となり、トータルバランスに優れた一面を持っていました。



ヤマハ YDS3 1964年という年

 

1964年(昭和39年)はオリンピックイヤー。日本中がオリンピック景気で湧いていました。

 

新時代への転換が急速に進んだ年です。

 

その急速な転換の反動か、新潟で起こった地震では、石油コンビナートの爆発や鉄筋コンクリートアパートの倒壊、コンクリート橋の崩落など、公共施設の危険性も見せつけられました。

 

また、オリンピックを3ヶ月後に控えた東京は異常渇水に苦しんだ年でもありました。

まとめ

 

モーターサイクルの生産台数が200万台を突破した年です。

 

しかし、トーハツの東京発動機が倒産し、会社更生法が適用。丸正自動車工業が倒産。目黒製作所が倒産して40年の歴史に幕を下ろしました。

 

モーターサイクルのメーカーは、ホンダ、ヤマハ、スズキ、カワサキ、ブリヂストン、ライラックの6メーカーになった年です。



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