ホンダドリームCB500T 1974 熟成を極めたDOHCツインエンジン

ホンダ初の大排気量だったCB450から発展した最終形態。
スタイルはより落ち着いた雰囲気のフォルムになりました。

 

まさに大人のバイクという雰囲気だっぷりです。

 

さて、1974年、

「アチョー!」

という怪鳥のような声と共に

敵を吹き飛ばし、
その妙技に観る者を圧倒する

凄い映画が、日本に上陸しました。

 

映画のタイトルは「燃えよドラゴン」

 

その映画で超人的なカンフーを披露した

アクションスターが、ブルース・リーでした。

 

しかも映画が世界公開される時には、

もうこの世の人ではなかったという衝撃の事実が、
この映画を伝説にしました。

 

映画に関しては、この末尾のまとめでも詳しく記します。

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ホンダドリームCB500T 1974 プロフィール

 

ホンダドリームCB500T 1974
1974年

 

エンジン:空冷4サイクル・DOHC2気筒
ボア・ストローク 70.0mm×64.8mm
排気量:498cc
最大出力:41.0ps/8,000rpm
最大トルク:3.8kg-m/7,000rpm
重量:206kg
最高速:170km/h
登坂力:20°
始動:セル、キック 5速
タイヤ:F3.25-19 R3.75-18
価格\365,000

 

 

ホンダ初の大排気量だったCB450の発展型です。

 

排気量を500ccにまでスケールアップされるなど、
熟成を極めたDOHCツインエンジンは、

低中速域の扱いやすさをアップ。

静粛性や環境性にも特に気が配られていました。

 



ホンダドリームCB500T 1974 ポテンシャル

 

バーチカル・ツインの印象も、

時代の流れと共に様々な移り変わりを生む。

 

初代CB450(1965年)から既に9年の歳月は、

マシンをも大人に変えてしまいました。

 

超高性能モデルの面影は、

毅然としたそのツインカム・ヘッドに残るも、
今は誰もその真価を問うものもいない。

 

国内でも最終型CB450-K5をベースに、

ボアのみ7mm拡大。

 

最高出力は、

K1(1967年)、K2(1969年)の45ps/9,000rpmを

上回ることはありませんでした。

4psのダウンは、排気量の拡大と共にトルクを

太らせフォルムに見られる様な落ち着きを走行性に与えていました。

 



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ホンダドリームCB550four-Ⅱ1975 時代

 

1974年、ウォーターゲート事件でアメリカ大統領、ニクソンが辞任。

日本でも、田中首相が、金脈疑惑で辞任に追い込まれました。

 

戦後初のマイナス経済成長だった年でもあります。

 

74年3月には、小野田寛郎元陸軍少尉が、

フィリピン・ルバング島から帰還、

 

また74年秋には、

読売ジャイアンツの長嶋茂雄が現役引退で、
ひとつの時代が終わった感がありました。

 

翌75年は、4月にカンボジアでロン・ノル政権が崩壊し、

同月、南ヴェトナム民族解放戦線がサイゴンに入城し、ヴェトナム戦争が終結しました。

 

日本では、プロ野球セ・リーグで広島東洋カープが悲願の初優勝を飾り、
赤ヘル旋風を巻き起こしました。

 




まとめ

 

「燃えよドラゴン」は、

主演のブルース・リーの名を世界に轟かせた、
アクション史上に残る傑作です。

 

ストーリーは、

 

武術トーナメントが開かれる香港沖の孤島で

麻薬を密造していることをつかんだCIAは、

武術の達人リーを送り込む。

 

まるで007の亜流のようなストーリーですが、

そんな欠点など

 

アチョー!

 

という怪鳥のような声とともに

吹き飛ばすカンフーの妙技が観る者を圧倒しました。

 

棒術やヌンチャクといった新鮮な小道具、

数百人が入り乱れる大激闘、

鏡張りの部屋での壮絶な一騎打ちなど、

映画的なアイディアを活かし迫力も倍増でした。

 

主演を演じたアクション俳優のブルース・リーの登場は鮮烈でした。

 

しかもこの映画が日本初上陸したときには、

ブルース・リーはすでのこの世の人ではなく、

彼が魅せた超人的なカンフーはそのまま伝説になったのでした。

 

この映画の後、格闘シーンが、

それまでのボクシング・スタイルが、

カンフー技がメインになるなど、

アクション映画の流れを変えた傑作でした。

 

“ブルース・リー NAVERまとめ”より
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