ヤマハ スポーツTX750 1972
ヤマハ初のナナハンは、4サイクルツイン。
オーソドックスな外観でしたが、バイブレスシステム(クランクバランサー)を
備えて振動の低減を図っていました。
この年、横井庄一元軍曹がグアム島で
28年ぶりに救出され、帰国しました。
横井氏の帰国した時の「恥ずかしながら」が流行語になったくらいです。
歌謡曲では、ぴんからトリオの「女のみち」、
小柳ルミ子の「瀬戸の花嫁」がヒットした時代です。
ヤマハ スポーツ TX750
ヤマハ TX750
1972年2月発売
エンジン:空冷4サイクルOHC2バルブ並列2気筒
ボア・ストローク 80mm×74mm
排気量:743cc
最大出力:63ps/6,500rpm
最大トルク:7.0kg-m/6,000rpm
重量:210kg
最高速:195km
0-400:12.3秒
始動:セルスターター、キック 前進5段
タイヤ:F3.50-19 R4.00-18
価格\385,000
ヤマハとしては初めてのナナハン。
XS650と同じくエンジンはOHC並列2気筒というレイアウトでしたが、
振動を軽減するためのバランサーも内蔵した新型エンジンを採用しているため、
4気筒並みのスムーズさを実現しました。
ヘッドまで細かなフィンが刻まれたエンジンの外観をはじめ、
スタイリングも独特の落ちついた雰囲気でまとめられていた。
個人的には、各メーカーのナナハンの中では、もっとも地味なモデルだと思います。
ヤマハスポーツTX750 扱い易さで高評価
ヤマハ初の量産型ナナハンです。
エンジンは、バランサーうぃ組み込むなど初の試みを持ち、
扱い易さで評価の高いモデルでした。
潤滑方式は、ドライサンプを採用していました。
当時、世はナナハン・ブームと言われていましたが、
ヤマハは、オーソドックスとも思える手法やスタイルが印象的でした。
しかし、見かけは保守的でしたが、中身は先進的なモデルでした。
バランサーを用いたバイブレス機構が、
運動性に大きく貢献していることがわかります。
XS650にあった横方向の振動もなく、更に深いバンク角も与えられて、
コーナーリングもスムーズでした。
ヤマハスポーツTX750 新時代を予言したマシン
4メーカーのナナハンが出そろいました。
ホンダのCB750、カワサキの750RS Z2と750SS、
そしてスズキのGT750と衝撃的モデルの中、ヤマハの初のナナハンは、
4サイクル並列2気筒のTX750と一見地味なモデルでした。
ヤマハと言えば、2サイクルのメーカーというイメージが強かったですが、
XS1から、4ストの名車を出してきて、ヤマハファンの僕としては嬉しいですね。
TX750は、パワーこそ63馬力と他社のライバル、ホンダCB750の67馬力、
カワサキZ2の67馬力、同じく750SSマッハ74馬力、スズキGT750の67馬力に比べ非力でした。
しかし操縦性を重視し、ライダーの命を守るというもっとも大事なことに焦点をあてたモデルと思います。
発売された’72年にはようやくヘルメットの義務化が施行されました。
それまでのパワー競争に一石を投じたマシンと言えます。
まとめ
1972年は、先述した横井氏が28年ぶりに帰国。
当時中三の僕は、このニュースを聞いて、まだ戦争が終わっていなことを肌で感じました。
また、連合赤軍の集団リンチ事件や浅間山荘事件と暗く思い襲撃的事件が続く一方、
札幌オリンピックで70m級ジャンプで、金銀銅獲得と表彰台を全て日の丸で
飾った晴れやかなニュースもありました。
僕は、フィギュアスケートで銅メダルに輝いた
米国ジャネット・リンの可憐な演技が懐かしいです。
この年、列島改造論を唱える田中角栄氏が首相に。
しかし、列島を浸し始めていた公害・環境問題を無視した列島改造論は無茶でした。
僕も思春期真っただ中でしたので、なんか混沌とした時代への始まりのように感じました。
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