ホンダ 250GPマシン ホンダ・フォアの咆哮が聴こえる

ホンダ・フォアの250ccGPマシンの代名詞

 



 

1960年前半の250ccGPマシンの代名詞が、ホンダ・フォアでした。

 

初めてホンダ・フォアが出現したのは、1959年にマン島帰りの、
ホンダ・スピードクラブ全員が出走した浅間火山レースでマシンは、
アサマRC160フォアでした。

 

軽井沢の浅間山麓に響き渡るホンダ・フォアのまるでジェット機のようなサウンドは、思い描くだけワクワクしますね。

 

そう大藪春彦の名作「汚れた英雄」の主人公北野晶夫と重ね合わせてしまいます。

 

125ccのRC142型を4気筒化にして250ccにしたモデルがRC160型で38ps/14000rpmのありすぎるパワーで、ライダーたちは苦労したそうです。

 

 

ホンダRC161 ’60年マン島に出走

 

東京モーターショーには、RC160のフルカウルモデルが出展され話題になりました。

 

そして’60年のマン島TT。

 

フロントがテレスコピック、シリンダーも前傾になったRC161が出走し、パワーも40psにアップされました。

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ホンダは、日本人3名、外国人2名のレーサーで臨み、ホンダ・フォアは、4~6位に入賞しみごとな成績を収めました。

 

このRC161は、エキゾーストパイプがメッキ仕上げで、
当時もっとも美しいマシンと言われていました。

 

高橋国光 初めての日の丸を掲揚

 

翌’61年にはRC162となり、パワーも46psにアップしました。

 

マン島TTでは、ボブ・マッキンタイヤが平均160km/hを達成しました。

 

そしてマイク・ヘイルウッドがまずか21歳にもかかわらず125、250で1位となりました。

 

そして何よりの快挙は、日本人レーサーで初めて日の丸を掲げた高橋国光選手でしょう。

 

高橋は、西ドイツ・ホッケンハイムの高速コースで平均時速186.41km/hで走り抜け、優勝して初めて日の丸を掲げました。

 

1961年5月14日のことでした。




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