こんにちは、
ともやんです。
クラス初となる水冷エンジンは、安定した吸入気が得られる吸気デバイスYEISを装備し、90km/hに迫るトップスピードと好燃費を両立していました。
タービン製キャストホイールにカンチレバー型モノクロスサスペンション、本格的ダブルグレードルフレームなど車体の仕上がりも本格的なマシンでした。
ヤマハスポーツRZ50 1981 プロフィール
ヤマハスポーツRZ50
1981年6月
エンジン:水冷2スト・ピストンリードバルブ単気筒
排気量:49cc
ボア&ストローク:40×39.7mm
最大出力:7.2ps/9000rpm
最大トルク:0.62kg-m/8000rpm
重量:75kg
タイヤ:F2.50-18 R2.75-18
価格:\176,000
クラス初の水冷パワー・ユニットを搭載しました。
当時、カワサキのAR50と共に人気を二分したスーパー・ゼロハンです。
低いハンドルとバックステップ気味のポジションからくるライダーへの視覚的な印象は、正にレーシングライクなものでした。
ヤマハスポーツRZ50 1981 ポテンシャル
ものサスペンションや6速ミッションと言った、RZ直系の血統を受け継ぎ、クラス最速の性能を誇示していました。
イタリックタイプのキャストホイールは、この当時RZ250/350、XJ750E、XJ400special、XV750にも採用、ヤマハ車を強く印象付けていました。
アッパーやアンダー・カウルもありました。
ヤマハスポーツRZ50 たかが50cc、されど50cc
50ccのモーターサイクルのポテンシャルを知ったのは、社会人になってからでした。
僕は一時、バイクのサークルに入っていました。
確か、バイク雑誌に仲間募集が掲載されていて、僅かな期間でしたが、サークルに入っていました。
その中に一人、本格的にレースをやっている仲間がいました。
みんなで峠を攻めようと集まって、走ったのですが、そのレースをやっている仲間は、なんと50ccで参加していたのです。
車種は忘れましたが、スポーツタイプでした。
しかし、その速いこと速いこと。
僕は、当時スズキRG250ガンマに乗っていましたが、着いていくのがやっとだった記憶があります。
ワインディングロードの速さは、バイクの排気量ではなく、ライダーのテクニックとした瞬間でした。
まとめ
1981年僕は24歳になりました。
りっぱな大人です。
でも大学は5年目になりまだ就職していませんでした。
どんくさいやつだったんですね。
いま振り返ると甘えたやつだったなぁと思う。
新人類の先駆けとされるコラムニスト泉麻人(1956年生まれ)は、
「前の世代は戦後の貧乏だった時代をまがりなりにも体験している。
しかし、日本が豊かになってから生まれ育った新人類は、
消費活動を楽しむ世代として現れた。」と振り返っています。
RZ50にしてもこれでもかと盛り込んだ50ccらしからぬバイクでした。
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